2011年2月アーカイブ

カシミヤを手放せない

わたしはこんな友人を持って幸せものだ。
ずっとやりたかった仕事への道がほんの少し開けてきたとき、
おめでとう、の言葉とともに、
一枚のストールを贈ってくれたのだ。
相変わらずかたく閉じられた莟はほころぶこともない寒い冬に、
ストールなんてそれだけで嬉しくなる。
包みを開けてみると、そこにはふんわりとしたカシミヤで編まれたストールが...

カシミヤと言えば高級品の代名詞でもあるほど、
そんなお金があったら本を買ってしまいたくなるわたしには、夢のカシミヤだ!
ダメとは分かっていても、それ以来カシミヤが手放せないのだ。
ふとんに入る直前まで、そして
起きてすぐホットミルクを暖めに台所へ向かう前にも羽織ってしまう。
こんなに酷使してしまうと生地が傷みはしないかと思う程、手放せない。
とにかく、声を大にして、あったかいんです!
信じられない程の保温力。カシミヤは中国やモンゴルの極寒の厳しい自然環境の
もと
生きるカシミヤ山羊からとられたもの。
朝晩の寒暖差が大きい生活に順応すべく、剛毛で覆われた毛の中には
さらにやわらかい産毛が隠れている。二重になった体温維持方法なのだ。
アパレルに用いられるのはこの産毛で、セーター一枚に4頭ほどの毛を必要とす
る。
高級と言われるのも頷ける。
こうした今も頭から上半身をぐるぐる巻きにして、
春の到来をじっと待ちわびているのです。

mixiをずっと長いこと、もうかれこれ5年くらいやっているんですけど、やっていると言っても日記を書いたことはなくって、ただ友人の近況を知るためだったり、コミュニティから有益な情報を得るために(とは言いながら、それらの情報の98%はクズみたいなもんですが)、いちおうアカウントを持っているという状態です。

最近は、ツイッターの影響でつぶやきの機能が追加されていて、僕の友人たち、マイミクたちも、まぁよくそんなくだらないことをつぶやくなぁと言ったことをmixiに投稿しています。こういうのを読むたびに、こいつらは一体何がしたいんだ?と思えてしまいます。「今日は肉じゃがを作ります!」って言って何になるんだろう。「わたしってば、こうやって毎日ちゃんと料理をしているのよ☆」というのを友人知人連中にアピールしたいんでしょうか。きっとそうなんでしょうね。そういう精神構造って本当に気持ち悪いと思います。どれだけ自己顕示欲が強いんだよ、、、と思わずにはいられません。他の人間がそれを読んで楽しいと思っているのが、気持ち悪い。誰もお前の行動なんかに興味ねーよ、と言ってやりたいんですが、たぶん本人たちもそれには気付いていて、だから改めて僕が何を言ったってどうしようもないんでしょう。

でも、こういう機能というか、つぶやきに限らず、自分のことを外に表明する機能というのは、自分が何がしかの行動に出る際に有効に働くというのも理解できます。「肉じゃが作ります」的な発言っていうのは、他の誰かに何かを伝えるというよりは、「そういうつぶやきを発するために料理をする」という本末が転倒した働きをすると思うのです。なんというか、「友人たちに自分の行動を知らせることを、行動の原動力にする」という機能とでも言えばいいのでしょうか。自分は仕事も頑張って、家に帰ったら肉じゃがも作って、こういうニュースに関してはこういう見識を有していて、、、という自分像をセルフプロデュースするために、他人からの閲覧を利用しているんですね。

こういう機能は積極的な行動だったり、思考を喚起促進するので短期的に見ると面白いとは思うのですが、中長期的に見ると、やはり人間を疲弊させる気がします。ずっと他人の目ばかりを気にすることにいずれ疲れを感じるときがくると思うんですよね。あるいは、他人にとっても価値のある行動を自分が取らないといけないという制約もいずれ発生してくると思います。「肉じゃが作ります」っていう表明は、受け取り手のほとんどが「お、肉じゃが作るなんてなかなかやるじゃん!」と思わなければ意味がないわけで、結局自分の行動への評価を他人に委ねていることと同義です。そういうことを続けていくと、「他人には分からないかもしれないけれど自分にとってはとても大事なこと」というのが生活の中で優先順位を落していく。それに気付かずに生活を続けていけばいずれそのツケが回ってきて精神を歪めて行くに違いありません。

まぁ、どうだっていいですけどね。でも、このことに警鐘を鳴らす論者がほとんどいないのが不思議でなりません。大丈夫なのかなぁ、mixiみたいな機能が蔓延している今の現状って。。

エンタの神様

前に放送していた、エンタの神様ですが、エンタだけに出演している芸人さんがいて、
他の番組では見たことがなかったのです。

そのエンタも放送終了していた今は、何をしているのか気になり、
少しだけですがブログの中身を見ていたのですが、
1記事における文字数も多かったし、
大半には画像も載っていました。

ある意味、今では忘れ去られた三流芸人にまで落ちこぼれたから、
それだけ丁寧な文章や画像を掲載出来ているのかもしれません。

エンタ時代にはファンも沢山いたでしょうし、
こんなブログ、ファンの人からすれば最高の内容だったでしょう。

ちなみにそんな丁寧に綴っている記事ですが、
コメントを見ると「ほどコメントが無い」状態でした。

番組や仕事の告知をしても、1・2件コメントがあれば良い方。

可哀想なことにプライベート日記を載せた場合は、
コメントが無しという状態も多々ありました・・・。

見ているだけでコッチが悲しくなる、そんなブログになっていたのですが、
じゃあエンタ出演時はどうだったのか?と思い、過去の記事も幾つか見てみたんです。

すると今と比べて全然大したことのない記事。

そうだな~例えば暗くて何が映っているのかも分からない、
そんな写メと記事が1・2行の内容。

こんな普通であればどうしようもない、レベルの記事であっても、
当時はコメントが50件ほども書き込まれていたんです。

別に私はその芸人さんのファンでもなかったのですが、
ちょっと芸人好きの人ってどうなのかな?と思う瞬間でした。

エンタの神様が終了し、今ではテレビで活躍することも無い、
そんな芸人さんだからという理由もあるのでしょうが、
当時コメントを書いていた人たちの心情が理解できない。

独り言を言う人たち

私が住んでいるのが東京なので、
日本の中から見れば色々な人が集まっている地域だと言えます。

そのため時間帯を問わず、誰かしら(他人)に街中で会い、
種類もサラリーマンであったり、
遊んでいる最中の大学生であったり、
実に様々です。

そんなアスファルトジャングルこと東京という場所ですが、
その土地柄なのか場所を問わず「変な人」に遭遇することもあります。

もしかしたら日本全国どこにでもいる人種なのかもしれませんが、
街中を歩きながら「独り言」を言っている人が多数存在するんですよね。

まぁ遭遇する確率は多くても1日に1人のため、
「東京はヤバイ」って程ではないのですが、やっぱりちょっと変ですよね。

ちなみに独り言を言っている人の特徴は、
私の見た限りでは特に何も無し!って感じです。

昔であれば、身なりからも少し危なそうな人が、
独り言を言っているという印象だったのですが、
最近では至って普通の人まで独り言を言っているんですよね。

これはもしかしたら特徴になるのかもしれませんが、
ややサラリーマン風の人が多いように思えます。

中には独り言を言っていると思ったら、
ハンズフリー製品を使って携帯電話を利用している場合もあるのですが、
あまりにも毎日遭遇するので、誰が本当に独り言を言っているのかの、
その区別すら出来るようになりました。

独り言といっても意味が通じていれば良いと思うんですよね。

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