mixiをずっと長いこと、もうかれこれ5年くらいやっているんですけど、やっていると言っても日記を書いたことはなくって、ただ友人の近況を知るためだったり、コミュニティから有益な情報を得るために(とは言いながら、それらの情報の98%はクズみたいなもんですが)、いちおうアカウントを持っているという状態です。
最近は、ツイッターの影響でつぶやきの機能が追加されていて、僕の友人たち、マイミクたちも、まぁよくそんなくだらないことをつぶやくなぁと言ったことをmixiに投稿しています。こういうのを読むたびに、こいつらは一体何がしたいんだ?と思えてしまいます。「今日は肉じゃがを作ります!」って言って何になるんだろう。「わたしってば、こうやって毎日ちゃんと料理をしているのよ☆」というのを友人知人連中にアピールしたいんでしょうか。きっとそうなんでしょうね。そういう精神構造って本当に気持ち悪いと思います。どれだけ自己顕示欲が強いんだよ、、、と思わずにはいられません。他の人間がそれを読んで楽しいと思っているのが、気持ち悪い。誰もお前の行動なんかに興味ねーよ、と言ってやりたいんですが、たぶん本人たちもそれには気付いていて、だから改めて僕が何を言ったってどうしようもないんでしょう。
でも、こういう機能というか、つぶやきに限らず、自分のことを外に表明する機能というのは、自分が何がしかの行動に出る際に有効に働くというのも理解できます。「肉じゃが作ります」的な発言っていうのは、他の誰かに何かを伝えるというよりは、「そういうつぶやきを発するために料理をする」という本末が転倒した働きをすると思うのです。なんというか、「友人たちに自分の行動を知らせることを、行動の原動力にする」という機能とでも言えばいいのでしょうか。自分は仕事も頑張って、家に帰ったら肉じゃがも作って、こういうニュースに関してはこういう見識を有していて、、、という自分像をセルフプロデュースするために、他人からの閲覧を利用しているんですね。
こういう機能は積極的な行動だったり、思考を喚起促進するので短期的に見ると面白いとは思うのですが、中長期的に見ると、やはり人間を疲弊させる気がします。ずっと他人の目ばかりを気にすることにいずれ疲れを感じるときがくると思うんですよね。あるいは、他人にとっても価値のある行動を自分が取らないといけないという制約もいずれ発生してくると思います。「肉じゃが作ります」っていう表明は、受け取り手のほとんどが「お、肉じゃが作るなんてなかなかやるじゃん!」と思わなければ意味がないわけで、結局自分の行動への評価を他人に委ねていることと同義です。そういうことを続けていくと、「他人には分からないかもしれないけれど自分にとってはとても大事なこと」というのが生活の中で優先順位を落していく。それに気付かずに生活を続けていけばいずれそのツケが回ってきて精神を歪めて行くに違いありません。
まぁ、どうだっていいですけどね。でも、このことに警鐘を鳴らす論者がほとんどいないのが不思議でなりません。大丈夫なのかなぁ、mixiみたいな機能が蔓延している今の現状って。。